2007.1月某日

2007年は、阪本順治の『魂萌え!』から始まる!



 阪本順治が、桐野夏生の『魂萌え!』を撮ると聞いたときは、ウムム? と思った。
『魂萌え!』は、桐野さんの新境地を拓く小説といってもいいが、『OUT』などとは違って、これは! というような事件があるわけではない。起こっていること自体は、いつでも、どこにでもありそうな平凡な出来事だ。むろん、そんな平凡なことが、それまで平穏に暮らしてきた一人の主婦にとっては、抜き差しならない問題として迫ってくるのだが、ドラマティックな事件ではないだけに、映画化するのは難しいと思ったのだ。
 しかも、あの阪本順治が撮るのだ。デビュー作の『どついたるねん』以来、ひたすら男の世界を撮ってきた監督である。例外は、藤山直美をヒロインにした『顔』だが、あれとても、女の映画というよりは、阪本的な人物を、藤山直美という個性に仮託した物語だったといえよう。それが、阪本順治から最も遠い存在と思われる平凡な家庭の主婦の物語を取り上げるというのだから、わたしが思わず、ウムムと唸ったのも無理からぬところだろう。
 それだけに、期待と不安が相半ばする思いで、その出来上がりを待っていたのだが……。昨秋、映画は完成したのだが、わたしは、夕刊紙の連載で追われていたため、なかなか見ることができなかった。それが、この度、ようやく見ることができたのだが、いや、改めて阪本順治監督に脱帽した。これは傑作である! と同時に、これによって阪本は、映画監督としての新生面を拓いたといえよう。



 まず、テンポがいい。平凡な家庭の主婦が、定年を迎えた夫を娘とともに祝うところから、夫の突然の死に至るまで、10分前後ではないだろうか。それだけの時間で、彼女の日常の要所要所を抜かりなく見せ、夫の庇護のもとに安寧な日々を送ってきた主婦という存在を観客に十分わからせたうえで、彼女を新しい局面に立たせる。そのテンポの良さに、わたしは思わず、さすが阪本、プロだねぇ、と感嘆した。
 何をいまさら、といわれるかもしれないが、最近の日本映画、とくに若い監督の作品には、やたらテンポの悪いのが多いのだ。まず、ひとつのカットが、意味もなく長い。相米慎二のように、確信犯的に長回しをしているわけでもないのに、ダラダラとカット尻が長く、歯切れが悪い。結果、全体に間延びしてしまうのだが、彼らは、そもそも映画はカットだということを知らないか、忘れているのではないか、と思ってしまう。06年のベストテンの上位にランクされた映画でも、そういうのが多いのにウンザリしていたから、『魂萌え!』の簡潔に畳みかけるようなリズムの良さに、すっかり嬉しくなってしまったのである。
 そして、そんな映画のリズムに、こちらがシンクロしたときには、すでに、風吹ジュン演じる関口敏子という女性の傍らに寄り添う気持になっていたのである。映画のリズムが、すでに物語を知っているわたしをも、その内側に引き込み、彼女が生きる時間を共にするよう促したのである。
 父の葬式に、一家を連れてアメリカからやってきた息子が、勝手に、日本に帰ってきてこの家に住むと独り決めしたときの敏子の困惑も、夫の蕎麦打ちの友人が訪ねてきて、夫が、今年は一度も、彼のところに行っていないと聞かされたとき、敏子の内に起きる不信や疑惑も、我が身のことのように感じられるのだ。
 外で働く夫に依存しつつ、彼を全面的に信頼して生きてきたイノセントな専業主婦という存在を、風吹ジュンは、その全身で体現している。だから、夫と関係のあった伊藤昭子という女性が訪れる直前に、鏡に映した自分の顔に口紅ひとつ塗られていないことに動揺するのだ。そして、その思いは、昭子の黒いストッキングに包まれた足のペディキュアの赤であらわになる。



 この伊藤昭子を演じる三田佳子が、また素晴らしい。敏子より年上というのが、物語のひとつのポイントだが、ショートヘアの髪を染めた三田が、それを実に存在感たっぷりに演じているのだ。敏子にすれば、夫の愛人が若い女であれば、若さに負けたという納得の仕方もあるが、相手が年長だと、そうはいかない。敗北感はいっそう深く、それだけ夫に対する不信も募るのだ。
 昭子が最初に姿を現すときは、まさに、そのミステリアスな印象によって敏子を圧倒するが、2度目には、敏子自身も幾つかの試練を経てきているだけに、正面切っての対決となる。その昭子の店で二人が対峙するシーンが素晴らしい。妻と愛人それぞれが、その立場だったらぶつけ合って当然という思いを、風吹ジュンと三田佳子が、むき出しな言葉で言い合う。それが、まさに火花を散らすような緊張感をもたらすのだ。
 妻と愛人が対決するというようなシチュエーションは、これまで何度となく映画に描かれてきたはずだが、これほど、両者の言い分が真っ向からぶつかり合い、緊迫した場面として現れたのは初めてといってもいいだろう。その意味で、このシーンは、映画『魂萌え!』の白眉であると同時に、映画史に残る名場面となった。
   むろん、この場面は、原作を忠実に踏襲したものだが、風吹ジュンと三田佳子という二人の女優が、対立する立場の女そのものであるかのような顔で向き合う(あのアップの切り返し!)ことによって、原作以上に明確な構図を浮かびあがらせたのである。
 敏子の友だちなど脇を固める俳優たちも、それぞれ明瞭な輪郭を示していていい。とりわけ、カプセルホテルの「フロ婆さん」に扮する加藤治子は、したたかさと頼りなさを体現していて見事だし、敏子の動揺につけ込んで、彼女をホテルに連れ込む林隆三は、ある種の男の典型として思わず苦笑いしてしまう。また豊川悦司が、敗残の男を控えめに演じているのも印象深い。
 わたしが、もうひとつ感心したのは、原作にはない、8ミリ映画の使い方である。これは、最初、敏子の仲良し3人組が、高校時代の楽しい記憶を甦らせるものとして出てくるが、それがやがて、映像を見るというよりは、それを映写機に掛けたときの感触と音を聞いているうちに、敏子に新しい道を示唆するようになるという展開がいいのだ。
 たとえば、昨年の映画で、これまたベストテンの上位にランクされた『ゆれる』にも、8ミリ映画が出てくるが、映画内映画を、こんなふうに使うなよな! といいたくなるような、恥ずかしい使い方をしたことでも明かなように、映画の中に、8ミリなどの映画を出すというのは、微妙なところがあって相当に難しいのだ。
 それを阪本は、さすがにうまくやっているのだ。と同時に、このエピソードは、信頼しきっていた夫の突然の死によって庇護を失い、あまつさえ、10年にわたる夫の裏切りを知った主婦が、非情な世間に直面して右往左往しながら、やがて自立していくという原作の精神を生かすことにもなっているのだ。
 だが、これを、熟年を迎えた一人の平凡な主婦の物語とだけ見るのは間違いだろう。男でも、あるいは若くても、同じように、突然まわりの支えを失って一人で生きていかねばならないという事態は、常にあるからだ。そのとき、非情なる世間や社会に対して、どのように自分を持して生きていくのかが問われる。その意味で、『魂萌え!』は、現在における普遍的な生の物語なのである。

『魂萌え!』は、1月27日から、有楽町シネカノン、渋谷シネアミューズほか、全国公開。