上野昴志
山形国際ドキュメンタリー映画祭にて

 1941年2月22日 東京生まれ。魚座。
 現在、映画評論家。とはいえ、写真や文学関係や社会時評などもやる。日本ジャーナリスト専門学校校長。1966年に、マンガ雑誌『ガロ』に目安箱という時評を連載したことから、気がついたら物書き稼業になっていた。その頃の『ガロ』は、白土三平、水木しげる、つげ義春らベテラン勢に、楠勝平、勝又進、林静一、佐々木マキら気鋭の新人たちが加わって、マンガ界に新風を巻き起こそうとしていた。
 映画批評を書き始めたのは、その2年後、波多野哲郎が「社長」で、山根貞男が編集長で始めた「シネマ69」が創刊されたときに、それまで映画ファンではあったが、映画評論など書いたことのなかった上野に声がかかったのだ。同じように、この雑誌で初めて映画批評を書いたのが、蓮實重彦であり、編集長だった山根である。「シネマ」の基本姿勢は、映画ならではの面白さとは何か、を追求するところにあった。そのなかで、上野は、折から全盛を誇っていた東映の任侠やくざ映画を中心に、毎回30枚ほどのやくざ映画論を連載した。
 あの頃、「キネマ旬報」以外にも、「映画芸術」、「映画評論」、やや遅れて「映画批評」などの批評誌があり、それぞれの編集方針のもと、大いに気を吐いていたのだから、いまから思えば信じられないくらい批評が元気だったのだ。
「渡世十年泣かずにきたが、笠に埋めたこの顔一つ、義理を背負っていま泣いた」とは、加藤泰の名作『遊侠一匹 沓掛時次郎』に付けられた惹句だが、爾来四十五年、義理は背負わないが、なんだか訳のわからないものを背負って、時に半べそかきながら評論家稼業をやってきたというお粗末。石井輝男の快作『網走番外地・望郷編』で白いスーツ姿の粋な殺し屋に扮した杉浦直樹が、高倉健との決闘の前に、「あんな(最低の)親分だが、飯食っちゃったからな」というが、いまのオイラも、同じ心境だ。しかし、オレはいったい誰の飯を食ってきたのだろう……。


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