荒瀬光治
8――ディスレクシア(読字障害)について

 ディスレクシアをご存じでしょうか? 一般には読字障害や難読症などと表現される学習障害のひとつです。
 私たちは言葉(言語)によって他者と会話をしたり物事を思考したりします。その言葉を、時間的にも空間的にも定着する方法として文字を発明しました。私たちが文章を読むとき視覚的な『文字」を脳の中で「言語」に置換えて内容を理解しています。必ずしも「文字」=「言語」ではないようなのです。この文字を言語に変換する脳の機能はかなりの個人差があるようで、人によっては、かなりな努力を要し、混乱も伴うようです。
 日常的な会話などでは普通に思考でき、むしろイメージ豊富な方が、文字を「読む」あるいは「書く」時点で急にたどたどしくなる。つまり文字を言語に置換えようとする機能が混乱をきたす。この度合いの高い人をディスレクシア(読字障害)と呼ぶようですが、日本では研究が遅れているようで、教育の現場ですら認識度は低いようです。(石井加代子先生の 論文参照
 そのため周囲から「能力が低い」や「意欲がない」などと誤解され、また本人も自信喪失や疎外感などから心身症をを引き起こしてしまい社会から逃げてしまうことも指摘されています。
 ディスレクシアの方は一般の方に無い特異な能力を備えている方が多いようです。以前『 NHKスペシャル(病の起源 第4集)』で、ディスレクシアで考古学者のジャック・ホーナー博士には、我々には模様にしか見えない地層に、恐竜の姿が見えているのを驚きとともに観ました。
 日本の場合「文字を読み・書く」という行為は、「言葉をしゃべる・聞く」という行為以上に社会的に重要な意味を持ちます。その分、ディスレクシアの方の能力を社会的に活かせない状況にあるようにも思えます。
 ディスレクシアを「読字障害」や「難読症」と言ってしまうと病気の一つに捉えられてしまいますが、背が高い低い、目が大きい小さいのような個性の一つかも知れません。今の社会が、あまりにも「文字」に重きを置きすぎるのかも知れません。もともと 30 万年前にアフリカでホモ・サピエンスとなって原始的な会話の能力しか備わっていない能に、その後発明された(せいぜい 4,000 年前)文字を言語に変換する能力が共通に備わっているとは思えません。
 出版には絵本やコミックなど、さまざまな表現があります。またデジタル化する中で日本語読み上げソフトも進化して来ているようです。より多様な読書環境を思考する必要があります。(2010.2.15 荒瀬光治)  

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