荒瀬光治
2――「読みやすさ」に関する共通の認識を

 もう 20 年も前のことですが、あるパソコン雑誌のデザインの手伝いをしていました。ある号でパソコンに関わるレポート募集があり、提出されたレポートを拝見して驚きました。8 割のレポートが手に取ったはいいが、読む気がしなくなるような 40 字を超える字詰に、用紙がもったいないのか行間が詰めてあります。「ひどい」の一語につきます。まるで「読んでほしくない!」と自己主張しているようです。
 ただ残りの 2 割の方のレポートは、2 段で適度な行間をとり、説明用の図版も配してありました。この差は何だろうと 2 割の方の職業を見ますと、みなさん小・中学の先生でした。なるほど日頃から子どもたちに学校案内などのプリントを配布するなど、他人に読んでもらうことにかけてはセミプロです。
 ただ、読みづらい 8 割の方も「読んでほしくない」わけではなくて、内容を考えるのに忙しく最後の見せ方にまで気が回らなかっただけだと思われます。「自分が読む立場になったら」をイメージするだけで、あるいは意識するだけで随分と変わってくるのではないかと思われます。
 「読んでほしい」という気持ちさえあれば、そんな読みづらい組はできないと、かつては思っていました。しかし「読みやすさ」を意識して、あるいは「読者の立場に立って」は、忙しい現在、これがなかなか難しいようです。
 「読みやすさ」を念頭においた市販雑誌の誌面デザインは、著者(ライター)、編集者、デザイナーの共同作業によるものです。そして一番重要となるのは文字分量の管理です。そのためには、この三者の「読みやすさ」に関する共通の認識が必要になります。「文字、削れないから写真1点落とせない?」や「行間詰めて入れられないかな?」では、「書けば書くほど読者は読んでくれない」代表パターンです。
 プロのライターは読者に読んでもらってはじめて価値があります。編集者も同じで、自身が編集した頁を読んでもらってはじめて、編集した意味があるものです。著者・編集者・デザイナーの三者が、読者の立場になり「こんな狭い行間じゃ読む気しないよな」と思える、「読みやすさ」に関する共通の認識を持ちたいものです。  


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